2015-03-06

黒戸尾根

日程:2014年8月上旬
山域:南アルプス甲斐駒ヶ岳
行程:黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳~北沢峠
形態:単独テント泊


***甲斐駒ヶ岳***

標高2967m。山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる山。その山頂付近の花崗岩は美しく、その白砂は特徴的である。深田久弥は左の漢詩をあげている。僧海量の作である。(写真削除してしまいました。)
そして何よりこの尾根の標高差。
登山口の竹宇駒ヶ岳神社〔標高770m〕→甲斐駒ヶ岳山頂〔2967m〕
2197m。この標高差は珍しいだろう。

北沢峠からピストンで登ったことはあった。不思議なくらいの快晴の夏だった。あれからずっと、いつか黒戸尾根から越えて南部まで縦走したいと思っていた。そうして実行に移したのだ。

【1日目】※今回の記録は(R)省略。
長坂駅=(北杜タクシー)=竹宇駒ヶ岳神社‐‐‐白州尾白川キャンプ場(幕)

縦走で電車の場合、前日までに登山口に入っておくのが妥当かと。韮崎からのタクシー案内が多いけれど、長坂駅からなら3000円台で済む。オートキャンプ場で、家族連れが多かった。
                  

【2日目】
竹宇駒ヶ岳神社4:30‐‐‐七丈小屋12:45(幕)

いよいよ始まった。今回の計画は光岳まで。予備含めて2週間分の食料を担いで登り始める。開始30分経たないうちにバテ、そうこうしているうちに雨が降ってきた。これが噂に聞く急登か、と思っていた頃、下ってきた人に「これからだから気を付けて!」と声をかけられた。地獄の幕はまだ上がっていなかったのだ。


徐々に、一歩が大きくなってゆく。太ももまである段差の上から雨水が流れてくる、沢歩きをしているようだった。刃渡りの危険マークの根拠は正直分からなかった。ただ、テントで上がったのはこの日私だけだった。感じが悪いと評判の小屋の人はいい人だったし、何よりトイレが綺麗。
あまり通じる人はいないが、疲労臭を放って初日は終わった。夕方には雨も止んだ。


【3日目】
七丈小屋7:30‐‐‐甲斐駒ヶ岳‐‐‐北沢駒仙小屋14:50(幕)

戦意消失で遅めの出発。その代りに3回くらいトイレに行けた。
垂直な岩の上から鎖がぶら下がり、大きな岩に短い脚、何度マントルを返したか分からない。雨のせいでザックは重くなり25㎏ほど。すれ違った人に、「それでどうやって登って来たんですか」と不審がられる。もはや1人サスケか、ただのトレーニングのどちらかでしょう。誰にも見られず必死で岩にへばり付くこと数時間。ようやく二足歩行できる道になり山頂へ。

多くの登山者でにぎわっていた。山頂からの景色もまた素晴らしい。南部は遥か遠い。 
だが困ったことに水が足りない。少しでも軽くしようと、飲み水を余分に持たなかったのだ。早く降りるしかない、が、膝がガクガクして思うリズムで歩けない。


途中、おじちゃんがオレンジと煎餅をくれ、楽しい時間が過ごせた。いつものメジャー登山道に合流し、なんとか仙水小屋へ。少しでも早く水を飲みたかったのでこちらの分岐にしていた。


小屋のおじさんに「水飲ませてくださーーーい!!」と大声で言うと満面の笑みで答えてくれた。周りの登山者は私を変な目で見ていたけど、勝手に飲む方が悪い。ポンプで汲み上げてくれているんだから。
皆がそうしていたら何も水場に「飲むときは一声かけてください。」なんて注意書きしなくても済むのに。  

すぐ下の北沢駒仙小屋へ。バスは前日までの大雨のため運休だとか。この疲労感、この先一週間近く続く悪天候で仙塩に入る気にはなれず、完全帰宅モードへ。テントで片し、翌日の始発で帰ることに。

ビールが苦かった。

【4日目】
北沢駒仙小屋/北沢峠=(バス)=奈良田経由=下田温泉駅

この年は広河原~夜叉神線が崩落のため通行止め。そのため北沢峠から広河原、ここから奈良田に向かい、乗り換えて下田温泉駅に行かねばならなかった。甲府行は時間が合わず。登山者も大変だがバス会社も嘆いていた。お客は少ない上に朝一の運行のために何時間も早く出なければならないのだとか。おかげで奈良田温泉に浸かれ、この土地も好きになれたが。
途中敗退したので帰りは食欲がなく、一週間まともに喉を通らなかった。つづく。


タクシー:北杜タクシー(駅前に止まっていることもあるが、予約した方がいい)
バス:南アルプス市営バス(北沢峠~広河原)
    山梨交通バス(広河原~奈良田)
    早川町乗合バス(奈良田~下田温泉駅・身延駅)→早川町HP
 ※なお、夜叉神、広河原周辺には自家用車の制限区域があるので、利用する場合は確認を。
テント場:白州観光尾白キャンプ場→名称に統一性がなくHPもない、住所は「白州町白須8886」。テント1泊1000円。竹宇駒ヶ岳神社のす
      ぐ手前。
      七丈小屋(小屋までに梯子を下る、整地がされている)
      北沢駒仙小屋(川が使える。)

笠ヶ岳

日程:2014年7月末
山域:北アルプス笠ヶ岳
行程:新穂高温泉~笠新道往復
形態:単独テント泊


***笠ヶ岳***

標高2897m。岐阜県高山市。その初登は1674年、円空上人と伝えられる。明治になってからの初登は1894年、明治27年8月1日かの有名な宣教師、ウェストンであった。当時の村人は、笠ヶ岳には魔力を持った山の精がいると信じ、よその人に山を案内すると嵐が村を襲うと考えていた。彼は3年目にしてようやく登頂できたという。

北アルプス南部の山は何度行ったか覚えていない。けれど拠点となる新穂高温泉の登山口までバスが走っているため、下山後、温泉から半袖短パンにサンダル、鼻歌で片手にビールをやるには少し整備され過ぎた街になっている気がする。なにより、他の縦走路から外れており、これまで行く機会がなかった。
笠新道は入口から急な上、水場もない。どうせなら最高のコンディションで入りたかった。いや、万全ではなかったかもしれない。がむしゃらに急登を登りたかった。


【1日目】
新穂高温泉14:43‐‐‐ワサビ平小屋15:53(幕)

【2日目】

 ワサビ平小屋4:30‐‐‐(R3)‐‐‐杓子平9:10、9:15‐‐‐笠ヶ岳山荘11:30(幕)↔笠ヶ岳

テントで笠新道を往復する人は少ないようだ。更に嬉しいことに天気が良くはない。これで快晴だったら完全にバテてしまう笠新道の登りっぷり。だけどそこはまさに夏。杓子平手前で雷雨。過ぎ去ってから稜線へ。笠ヶ岳は向かいの稜線に見えた。
テン場と小屋がこれまた遠い。受付もトイレも水場も全部テン場から結構登る。雪渓も通過した。おまけに酷い強風でテントも立てられず、石の壁を増築。やっとのことで自立したテントにザックを放り込む、この重みでもう心配はない。「ガチャン」ザックの中で瓶が割れた音だった。長野の地酒、一滴だけ飲めたけれど処理に1時間近くかかった。
既に魂が抜けきった感はあるが、夕飯まで山頂へ。夏らしい景色に何もかも忘れた。テントからの景色も最高。




【3日目】

笠ヶ岳山荘5:10‐‐‐(R1)‐‐‐杓子平7:30、7:40‐‐‐(R2)‐‐‐笠新道入口10:40‐‐‐新穂高温泉

朝は雲が切れ、御来光となった。
だが午前中の早い時間には穂高方面は夏の雲に隔てられた。とにかく下りでザックの重みをまともに受け、膝に大爆笑されながら登山口へ。実はここからもゆっくりしてはいられない。新穂高温泉(中崎山荘)でお風呂に浸かって終電までに帰らなくてはいけない。


いつまでもこの場にいたかった。

そんな、素晴らしい朝。

笠ヶ岳は素敵な山だった。

もう一つ我らハイカー、クライマーが忘れてはいけないことがある。
「地域貢献」だ。
常に地元の方々の理解、協力、支援なくしてこの遊びは成り立たない。
地ビールと地酒、旨かったなぁ~