2015-06-24

仙塩尾根

日程:2014年8月下旬
山域:南アルプス仙塩尾根(北沢峠~仙丈ケ岳~塩見岳~鳥倉登山口)
形態:単独テント縦走

 南アルプスの北部、標高2030に位置する北沢峠は仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳への登山口として知られ、その歴史も深い。拠点となる山小屋もまた同じだ。現在の長衛小屋については、数年前に行った記憶では、地図と実際の山小屋名が異なっていたためよくわからないまま計画書を書いて、顧問に注意された思い出がある。2013年の高原地図とそれ以前の地形図との表記も異なり、今年の看板も違っていた。ここを利用する時は毎回よくわからないことになっていた。せっかくなので、調べてみた。


~北沢峠の小屋~
1930年 伊那市出身の竹沢長衛(1889~1958)が長衛小屋を建てる
1962年 二代目長衛が長衛荘を建てる
1979 年 長衛荘、旧長谷村(現伊那市)に譲渡
1996年 長衛小屋、旧芦安村(現南アルプス市)に譲渡
1992年 NPO法人芦安ファンクラブ設立
2003年 芦安村、櫛形町、若草町、白根町、甲西町、八田村が合併→南アルプス市となる
2006年 長谷村、伊那市、高遠村が合併→伊那市となる
      長衛小屋、NPO法人芦安ファンクラブに委託
      長衛小屋、二代目長衛の要望により北沢駒仙小屋に(似た名による混乱を避けるため)
2011.11~2013.6 長衛小屋、改装のため休業
2013年 北沢駒仙小屋→長衛小屋(伊那市が南アルプス市にもちかけ、竹沢長衛を尊重して元の
      名に戻した)
                長衛荘→こもれび山荘(混乱を避けるため、公募で決定した名)

                                       行く年前後に限って名前が変わっていたようだ。受け継ぐ人の愛によって存在する長衛という名。
                                       これからも大事に想い続けていたい。

さて、1週間前に北沢峠で敗退してからというもの、まともにご飯も食べず、ボルダージム行ったりクライミングの映画観たり…。見かねた家族に「早く山の支度しなさい!」と言われて思い出した。そうか、南まで歩きたかったのだ!ということで第二弾出発。またもや10日分の食料と共に。その代りシュラフは無し。
【1日目】
甲府駅=(バス)=奈良田経由、広河原乗り換え、北沢峠‐‐‐長衛小屋(幕)
私は考えた。北沢峠から入山すれば仙塩尾根に入らないわけにはいかないだろう、と。

【2日目】
長衛小屋7:00‐‐‐二合目7:52、8:00‐‐‐四合目8:55、9:05‐‐‐大滝頭9:27、9:30‐‐‐小仙丈ケ岳10:40、10:50‐‐‐仙丈小屋11:35(泊)

実は前日、北沢峠から仙丈小屋の予約を取っていたのだ。テント担いで、何やってんだ。と言われそうだが、なるべく体力を使いたくなかった。どうしてもこの荷物だと熊ノ平小屋までに1泊必要にな
                                       る。本来なら両俣小屋であろう。ただ、そこに寄ると、翌朝1時間の登り返しがある。これがどうしても
                                       嫌だったので小屋に泊まってしまった。小屋営業時期にビバークはしたくなかったから。

テント装備の人はおらず、ワイワイ騒ぎながら登っている人たちに道を譲り、苦行のようにひたすら登り続けた。縦走だとだいたい初日がキツイ。荷物も多く、露でテントも重くなっている。写真が残っていないのもそういうことだ。
小屋へは早く着いたようで、良い場所を割り当てられた。オジサンド(※1)だったら生きた心地がしなかっただろう。やることもないので昼寝して夕飯食べて、小屋の夕飯の匂いに耐えながら夕寝して明日の支度をして朝まで寝た。素泊まりとはこんなにも惨めなものなのかと、思い知った日だった。

【3日目】
仙丈小屋4:55‐‐‐仙丈ケ岳5:20、5:25‐‐‐大仙丈ケ岳5:52‐‐‐(R1)‐‐‐伊那荒倉岳8:05、8:10‐‐‐2449地点(独標)8:50、9:02‐‐‐横川岳9:40‐‐‐野呂川越10:10‐‐‐(R3)‐‐‐三峰岳14:10、14:20‐‐‐熊ノ平小屋15:40(幕)

一晩中吹いていた風は、朝方になっても止む気配は無かった。外の自炊小屋で具の無いラーメンを食べるが、強風は続いた。この1泊で何人かと話す仲になり、惜しみながらも出発。
案の定、歩くと暑くなってくる。仙丈ケ岳からの御来光には間に合った。
仙丈から農鳥まで行くという人が1人いた。少し先で体格の良い2人とすれ違った。さあここから少し開けた岩道を下ると次第に木々に囲まれてくる。樹林帯に突入だ。なんだか薄気味悪い、鬱蒼とした森を登って下って、倒木だらけ森を進んでゆく。男の人1人に抜かれる。
果てしなく足を動かすこと数時間、周りより高いだけで相変わらず樹林帯な伊那荒倉岳に到着。なんだか熊でもいそうな感じだが口にアルファ米を詰め込む。
山頂というからには少しは期待するのだが、ずっと薄暗い森の中、1人で歩いているといい加減嫌になって来る。だけど、ここから逃げようにも行くか戻るかしかない。地図に「露岩、ハイマツ、シャクナゲ、独標」の文字。まさにオアシスではないか。


期待通りの展望のきく場所、ほんの一カ所だけ出現。慌ただしく動いていたせいか、12分の休憩がかなり長く感じられた。日差しに別れを告げ、再び暗い森へ。


嫌になりかけた頃、横川岳に到着。待ってました!と言わんばかりに小太りの男性が鎮座。
「後から女性が来ますよ」とすれ違った人に言われたらしく、心待ちにしていたようだ。こりゃ、期待外れかな(笑)
なにはともあれ、お互い人に会えたことが嬉しくて。彼はこの先の道の情況を聞いてきた。「ずっと登りですね、一カ所だけ展望がきくので、そこで休憩したらいいですよ」と。なんと酷なアドバイスをしたものか。ただ、すぐだ、と教えられた野呂川越は30分もかかった。あの小太りも侮れない。
両俣小屋への分岐を振り切って進む。3人組にすれ違った。彼らは両俣小屋までだということで、穏やかな顔をしていた。私の予定を告げると「頑張ってください」と意味ありげに笑っていた。徐々にビバーク地点を探し始めたが、頭が働かなくなってきていた。まずい。進めど進めど景色もなく。写真が無いのはザックを下す気力が無かったから。
ようやく三峰岳らしきものが見えてくる。しかしピークがいくつかある、その先のようだ。希望を絶たれたような気持ちで進む。三峰岳への最後の登りは、岩場。振り絞って正直ヘロヘロで山頂へ這い上がった。


が、360度の展望。これには参った。
下に小屋も確認できたので後は下るだけ。ボーっとしてると慌ただしく1人の女性が反対側から登ってきた。どちらに下りたかは覚えていない。お互い必死だった。

1日で歩いてきた道だ。あと半分は明日のお楽しみ。
こんな幸せは他にあるだろうか。
それにしても下りねばならない。最後の1時間20分が私を追い込んだ。人工的な道、トラロープの張られた斜面、整地されたテン場。目の焦点が合わなくなった頃、小屋に着いた。スレスレだった。
外にいたガイドのおじさんに感心されべた褒めされ、小屋へ。小屋の人もいい人だった。何もないのは南アルプスだからだろう。テントはこの日2張りだった。
テントを張るととっくに気象通報も終わっており、何を食べるわけでもなく、お餅と水で空腹を堪えた。すぐに雨となり、もはやそのまま眠りについた。


【4日目】
停滞

そう、本日の仕事は停滞。なぜって?止まない雨の中、激しい疲労で半日の行動は御免だったから。
熊ノ平小屋の人と話して、1日寝て過ごした。こんな山奥で、なんと優雅な休日ではないか。





【5日目】
熊ノ平小屋5:10‐‐‐(R1)‐‐‐安倍荒倉岳5:50‐‐‐(R1)‐‐‐北荒川岳7:45‐‐‐(R1)‐‐‐塩見岳10:27、10:55‐‐‐塩見小屋11:40、11:55‐‐‐(R1)‐‐‐本谷山13:37、13:47‐‐‐三伏峠小屋14:44(幕)

この日は長かった。朝出てすぐに5~6人のパーティーに追いついた。すぐにまた静寂となった。ひたすらに森の中を歩き続け天気は良くなかったが時折向かいの山も見えた。しかし荒川岳に着く頃には視界は真っ白、広がった尾根道には微かにピンクテープが付けられていた。

ここまではどれもこれも地味な山頂であった。

ここからはいよいよ南部へ。歩けど歩けど人もいない。樹林帯を抜けて岩場が出てきた。視界がほぼないため、こんどはペンキマークがよく見えなかった。そのまま崖を下り降りて行ってしまったときにはさすがにダメだと思った。気持ちを入れなければ。


さあ、段々と登りが続くようになってきた。そろそろ塩見岳に入ってきたか?読図から考えると、自分の目の前には塩見岳が大きな姿を構えている、はずだ。しかし見えない。ここまで視界のない中どちらに進むかわからない登山道を歩くのは変な感じだ。向かいから1人、下りてきた。少ししてもう1人、すれ違った。雨も増してきて視界のない上に向かって無心で歩く。しかもこちら側の道を通る人は少ないためか、急な上にガレと砂で滑り落ちそうだ。下ってきたおじちゃんは慎重だった。休まずに一気に駆け上がると、何人かいた。山頂に出たらしい。が、視界が無くてどこがピークなのかわからない。歩き回って探すとなんとか見つかった。男性3人、男の子1人のパーティーがいた。百名山はいくつ登ったか、と聞かれたがそんなの知らないのだ。現に北岳、間ノ岳を横目に見てきたのだし。とまあ久しぶりに人と話してからは、人とよく会った。
塩見小屋、三伏峠小屋とのピストンが大半のようだ。

塩見小屋ではトイレを借りた。
さあここからはもう安心。遊歩道のような道に思えた。一昨日からお腹がグーグー鳴っていたので、今日もまたうるさかった。アルファ米のチキンライスは美味しかった。


朝から9時間半。やっとのことで三伏峠小屋に着いた。
小屋の前で「あ゛~やっと着いたぁ~~!」と思わず叫ぶと、近くにいたおじちゃんたちが「いや、この子は相当だよ…大したもんだぁ…」とジロジロ見てきたのでそそくさと小屋に入りテントのお金を払った。明日の予定を聞かれたので「三伏峠に下ります」と伝えた。再度聞かれた。同じく答えた。また聞かれた。もう完全にここが下山口だと思っていた。「で、ここから下るとどこに下りるんですか?そこに行きたいんだ」と危険視されるような答えをしてしまった。馬鹿らしいほどにここはもう町だと思っていた。
というのも、実はこの先南部へ行く予定だったのだが、帰りたかった。バスの時刻表が張られているのを見て、一気に気持ちがそっちに行った。

黒戸尾根から登っていないのに南まで抜けるのはモチベーションに欠ける。
しかもホットケーキが食べたかった。

この日はインスタントの焼きそば、お餅inお茶漬けのもと、白米、水、と、寝る時間まで調理して
                                      食べ続けた。それでもお腹はいっぱいじゃなかった。

                                      夜も雨だった。
                                      大騒ぎをする韓国人の声も、いつしか雨にかき消されていた。

【6日目】
三伏峠6:25‐‐‐鳥倉登山口8:10、9:10=(伊那バス)=伊那大島駅11:00
朝も雨だった。お餅を2つ、食べた。もうインスタントラーメンのあのにおいは無理だ。体が拒絶していた。下山時まで濡れるのか、と思いながら止まない雨に諦めをつけ、テント撤収。
バス停に下りると、予想通り仮設のトイレが並んでいた。
駅に着くと、思わずセブンイレブンが近くにあった。これは奇跡だ!と思いながら好きな物を買いまくった。炭酸ジュース、塩カルビ弁当、カットメロン。お酒は買わなかった。とにかくお腹が空いて水分不足なのだ。
もはや温泉はないので諦め。しかしこれはいかんと思って駅のトイレで着替えて、適当に洗い流して全身にリセッシュを吹きかけて完了。気持ちのいい夏だ。山梨の大学生4人と、おじちゃんと駅で話しながら電車を待った。
途中の乗換駅では、大きなおにぎり、これまた大きなチキンカツを買い食い、駅そばも食べた。何日分だろうか。幸せだった。

完全に1人だった。この夏の山は一生忘れないだろう。

そして次の夏こそ、歩き通す。



(※1)「オジサンド」とは、混雑した山小屋で布団が3人で2枚くらいの割り当ての中、山のオヤジ達の間に寝ざるを得ない現象のこと。これに類似した現象が1張りのテント内でも起こり得るが、テント泊は何でも許せる人としか行かないので、あれは俗に「おしくらまんじゅう」と言ってもよい。

黒蔵谷

日程:2015年5月上旬、2泊3日
山域:南紀;大塔川
行程:黒蔵谷出合~黒蔵谷~大杉谷林道
形態:沢登り、2p

1月の終わり、トレーニング中にクライミングジムで怪我をした。胸椎が折れた。救急車で運ばれそのまま入院、10日を過ごすことになった。こうして1週間後に控えたボルダーツアーと航空券は泡と消え、病室から飛行機を見送ることになったのであった。
そんな中、見舞いで持ってきてくれた1冊の本――渋い沢の本だった。去年の秋からヒトケのいない山に惹きつけられていたものだから、興味があった。その中でも特に気になる沢をいくつかメモしていた。そのうちの1つにこの谷があった。なぜ書き留めたのかは覚えていないが、ベットから見た、遥かな夢だったのかもしれない。
それから2ヶ月のコルセット生活を終え、1ヶ月のリハビリで山への復帰目処が立った。ちょうどこの頃、沢の人と話があり久しぶりに人と行った。完全におんぶにだっこ状態になった。

郡山ICを降りて下道を走ること140㎞。山道はなかなかであった。川湯温泉から入る県道241号線は、途中から林道となり、タイヤにも厳しい道となっていった。結局1日目、山に入ったのは14時だった。


【1日目】
黒蔵谷出合14:00---下ノ廊下---18:15(幕)

最初の鮎返しの滝は巻いた。骨の強度は戻ったとは言え、周辺の細胞が悲鳴を上げていた。

巻き終えると綺麗な水が待っていた。透き通るこの山の水は、初めて見たような美しさだった。

どこまでも続いているようなゴルジュ帯。
泳ぎ方は全く分からなかったので、この日は溺れてロープで引っ張ってもらうこと数回。
嫌いだった水への恐怖心が少し減ったのではないかと思う。

しかし、綺麗だ、と何度言ったかわからない。
とは言え、いくら泳げなくても、いくら水が苦手でも、日暮れまでもう少し。ロープを出していたら暗くなってしまう。それは本気で最悪だということだけはわかっていたので、集中して泳いだ。1日溺れた甲斐があった。日没直前でゴルジュ帯を抜けた。
薪を集め終わる頃、暗くなった。
【2日目】
7:00---高山谷出合---カンタロウ滝---17:30(幕)

タープの下にもぐり込んだ、と思ったら朝になっていた。濡れた服に着替え直し、いざ中ノ廊下へ。

徐々に分かってきた。口は「水が綺麗!」と発し、頭では「綺麗に見えるほど深いのだから、泳がないといけない」と理解するようになっていった。

そしてついに飛び込む時が来た。
これほどまでに苦手なことはない。しかし厳しい視線を感じたので、思い切って飛び込んだ。鼻と口をめいっぱいに開いて飛び込んだらどうなるか、考えておらず、溺れかけた。
夢中でロープを手繰り、アッセンダーにしがみ付いた。同じところで2、3度流され、いい加減にしたいのは2人とも同じだった。
雨も降ってきた。
まだまだ続く。
泳いでも泳いでも、まだ泳ぐ。


地図上のカンタロウ滝。

これは巻く。 右岸を大きく巻いて最後は懸垂下降。
なんとも、山の山たるや。
これぞ山。
存分に山を味わったところで、また水。泳いで泳いで段々慣れてきた。が、イマイチ泳ぎ方が分からないので無駄に力を使ってしまう。そんなこんなでヘロヘロになると同時に日暮れも気になり始めた。
これが何の滝なのかは確認する気力は無かったが、沢の人の判断で言われた通りのところを登ろうとするけど、全身にぶち当たって来る水で身動きが取れなくなってしまった。訳が分からなくなって左右逆方向にロープを引いたりしていたらしい。それでは動けるはずがない。


ここを上がると、いよいよカウントダウン。
何にかって、夜に向けて。

それでも続く長い淵。終りが見えない。
もはや気持ちで体を動かしているような状態で、水が深くなれば倒れ入るように仰向けに浮かび、無心で進んだ。
この日の最後に、やっと1回で泳ぎ切れるようになった。というよりは、暗くなる前に抜けなければという義務のレールに乗っかっている感覚だった。

抜けた。
幕営の準備をして着替えて腰を下ろした。
とりあえず行動食の余りを食べた。
やっと感情が戻ってきた。沢の人の顔を見ると笑顔だった。
この日は蛭に怯えながらも、十分に休んだ。

 【3日目】
8:30---黒蔵滝---10mトイ---二俣11:30、12:00---林道13:00、13:30---ゲート15:15

朝から泳ぐ。さあ、曲がると大きな釜が現れた。岩がヌメヌメで、先行が派手に滑り落ちていったので慎重に。
ロープを出してもらい、やっと勝手が分かって来たガチャガチャ類を使いセルフまで行き着いた。ここからのトラバースもセットしてくれた。全身ガクガクで1枚撮ったのがこの写真。

カムもハーケンも仕組みをよく知らないまま頼ることになった。沢の人の言う通りにした。
越えると一安心。新緑だ。

最後の林道までの登りは、崩落した後のような場所だった。

カードレールが見えた。
あと3メートル。気を抜くな、と言われた。
這い上がった。


9年前、沢はよくわからなかった。
8年前、沢はどうでもよかった。
5年前、沢に興味が湧いた。
3年前、行きたくて行った沢は疲れた。
去年、1人で沢筋歩きを始めた。
今回、最高に楽しかった。

背中の調子が完全ではないため、プッシュをすると肺が潰れそうになった。かなり時間がかかってしまったけど、なんとかスレスレの時間で下山完了。

林道は笑いながら歩くことができた。





【補足】
・交通手段は車です。
・入渓地点に車を置き、少し先の林道終点に自転車を置いて帰りの時間を短縮(一応)。
・紀伊半島の真ん中を通る道には、コンビニはないので、買うなら高速下りてすぐ。
・那智方面を通る道なら、サークルⓀがよくあります。
・遅くまでやってる温泉は、わたらせ温泉。
・少し前まで怪我人でした、時間・状況は参考にしないでください。この山行の相方は、沢の人です。この状況の自分を連れていける余裕のある人です。
・怪我の前に体がある程度鍛えられていたため、この期間での復帰が可能になったのかもしれません。怪我はしないが一番、リハビリは着実と。