2015-10-15

南アルプス大縦走

日程:2015/8/26~9/5
山域:南アルプス;甲斐駒ヶ岳~光岳
形態:単独、テント6泊、小屋4泊、小屋夕食3食

~行程~
26日[雨]     竹宇駒ヶ岳神社7:00→七丈小屋16:25(幕)
27日[雨/曇]   七丈小屋7:20→北沢峠15:00(幕)
28日[曇/雨]   北沢峠5:00→仙丈ケ岳→両俣小屋16:40(幕)
29日[雨]     両俣小屋6:30→間ノ岳→北岳山荘14:30(幕/夕)
30日[雨/風19m] 北岳山荘9:00→熊ノ平小屋13:15(泊/夕)
31日[曇/雨/強風] 熊ノ平小屋6:30→塩見岳→三伏峠小屋16:15(幕)
1日[雨/曇]    三伏峠小屋9:10→高山裏小屋14:55(幕/期間外)
2日[雨/☆]    高山裏小屋5:40→赤石岳→百閒洞山の家15:15(泊)
3日[曇/雨]     百閒洞山の家5:40→聖岳→茶臼小屋16:30(泊)
4日[雨/晴/☆]   茶臼小屋6:25→光岳10:40→茶臼小屋15:15(泊/夕)
5日[御来光/晴]  茶臼小屋6:30→畑薙大吊橋10:20

今回のスタイルは以下のようです。
 *基本テント泊
 *食料・装備は全行程分持参
 *単独
 *途中で帰らない
 *台風と雷でなければ停滞しない
 *台風の場合、小屋に停滞することも考える
 *小屋の人の言うことは絶対に聞く

概要は以下のような感じ。
 *10泊11日(前夜除く)
 *テント泊、小屋泊
 *単独
 *ザック重量:出発時18キロ(水除く)→のち、雨のため増。
 *1日の摂取カロリー:1200㎉程度
 *着替え:タイツと下着のみ(寝る時用)
 *食料:全部乾燥物
 *使用ザック:75ℓ

では、記録と共に南アルプスの世界へ!(*'▽')

8/25
長坂駅=(北杜タクシー)=竹宇駒ヶ岳神社
タクシー料金は3500円程度。
バスが近くまで来てますが、長い縦走なのでタクシーがいいです。
タクシー会社は北杜タクシー。直前でも電話しておくと楽です。

8/26
白州尾白川キャンプ場7:05‐‐‐R1(分岐)7:35、45‐‐‐R2、8:40、9:00‐‐‐R3、9:45、55‐‐‐横手分岐10:30、50‐‐‐R5、11:35、55‐‐‐刃渡りの先13:15、35‐‐‐R7、14:00、10‐‐‐5合目15:05、10‐‐‐七丈小屋16:25(幕)
さてついに始まりました。去年の敗退から1年。
縦走は大体初日から3日くらいが体力的に1番キツイ。昨夜の雨でテントはすでに重くなり、水場もないため20キロを超していたであろう。女性1人にすれ違っただけで、誰にも会わなかった。歩き始めてから何度も引き返そうと思った。ここから帰るのが下界に1番近いのだ。だけど今年はそんなこと言えない。結局、9時間以上かかって小屋に到着。
凄まじい雨で全身ずぶ濡れ。
テントの中で着替え出した頃、男性2人が到着した。




8/27
七丈小屋7:20‐‐‐(R1)‐‐‐8合目7:30、55‐‐‐R3、8:40、9:10‐‐‐甲斐駒ヶ岳10:50、11:20‐‐‐六方石11:55、12:00‐‐‐駒津峰12:25、50‐‐‐仙水峠13:50、14:10‐‐‐長衛小屋15:00(幕)
この縦走の核心部の1つ。
黒戸尾根の上部を苦無く越えられれば、その先も行けるだろう、という目安にもなる大事な1日。
ハ-ハ-言いながら8合目まで。

 で、ここからです。
鎖が垂れてたり、でかい岩があったり、フルで登るにはなんか違うと去年は思ったので、今年はクライミングジムで懸垂、筋トレ、160度壁ばかりやって鍛え上げて再挑戦。
思う存分楽しむことが出来た。



そしてようやく1つ目の山頂、甲斐駒ヶ岳に到着。
ザックのまま山頂に行ける余力が残っていたので、山頂でたっぷり休んで明日からに備えることに決めた。ただ、真っ白でよくわからない。



下山の時、ちょうど甲斐駒ヶ岳が見えた。
今思えば、この山行でかなり天気のいい1日だった。
ちなみに峠まで下りる道も、なんだか登りもあって、日帰り装備の人たちに迷惑を掛けながら気持ちだけで越えていった。

北沢峠に下りると、南アルプスで1、2を争うベースキャンプ。この人の多さ、と言うのが正しいのかはわからないけれど、広い河原を前にして、濡れた装備をひたすら乾かす。ビールも飲まずにご飯を食べて就寝。賑やかだなーと思いながらいつの間にか朝になっていた。周りがうるさくても寝られるこの性格は、非常に得した気分です。


8/28
長衛小屋4:55‐‐‐(R1)‐‐‐2合目5:50‐‐‐3合目6:15、20‐‐‐大滝頭7:05、15‐‐‐小仙丈岳8:25、35‐‐‐仙丈小屋9:35、45‐‐‐仙丈ケ岳10:20‐‐‐大仙丈ケ岳11:00、25‐‐‐(R)‐‐‐伊那荒倉岳14:00、10‐‐‐独標15:00、05‐‐‐両俣小屋16:40(幕)

この縦走の核心日。仙丈まで登り、仙塩尾根へ突入。という、逃げ場のない行程。仙丈ケ岳の手前で一瞬山が見えた。





山頂に着くと、真っ白。この後ヒトケのいない尾根に入ると何だか鬱蒼とした森。去年体験しているので何とも思わないが、熊がいてもおかしくない、南アルプス1番の自然を感じられる場所だと思う。
実際にこんな手書き看板を見かけた。
「南アルプスの大自然コース」的な。倒木に苔が生えてて暗い森。雨の中いい雰囲気が醸し出されていた。

伊那荒倉岳山頂。


横川岳。全く気色が変わらぬまま進む。
両俣小屋へは、その通り急登。明日、朝イチの登り返しが本当に嫌だったけど、小屋に泊まるという安心を得るために、駆け下りた。道なのかよくわからないけど、大木が倒れ重なっていてピンクテープもなんだかなぁ~という感じ。
思いっきり降ると徐々に雰囲気が変わってくる。ここは釣り師もいるようだ。
バイヤリスオレンジが美味しかった。ペットボトル400円。安いなぁ~

8月29日
両俣小屋6:25、野呂川越7:35、40‐‐‐(R2)‐‐‐間ノ岳13:00、10‐‐‐北岳山荘14:30(幕)

仙塩尾根に戻り、まわれ右!で三峰岳を目指す。
そう、ひたすら登っていつつくのか分からないのがこの山。視界真っ白だからでしょうか?上には鎖場もあって、なかなかスリリング。

人生初の間ノ岳も通った。何も見えなかった。


雨続きで足もふやふや。
とか言ってられるのは、実はこの時だけだった。翌日には足うらが真っ赤に。その次の日には今にも水ぶくれそうになり、百閒洞でついに水がはじけてベタベタに。お兄さんが消毒液を付けてくれたりテープをくれたり…
茶臼小屋に着いた頃には指の先までパンパンに腫れあがって足裏はグジャグジャ…親切な小屋の方が洗わせてくれて、消毒とテーピングまでくれた。そのおかげでなんとか回復。下山した時には少しましになってたけど、後日爪が剥がれた。ばい菌って、怖いのだなぁ~としみじみ。


はい、受付で「夕飯はどうしますか?1人ならいいですよ」と言うので、うなずいた。1700円かな?感動のあまり、おじさんたちより早くご飯をお替りしていた。
お腹パンパンって幸せやぁ~!
でもね、アルファ米に乾燥のマーボーナスとか、チキンカレーとか、食べるのもなかなかいいんですよ。あれは本当に贅沢。

8月30日
北岳山荘9:00‐‐‐熊ノ平小屋13:15(泊)

夜中はなんだか風が強かったような…夢かな?とか思いつつ朝方、雨と共に強風が…
まあ落ち着くだろう、と明るくなるまでご飯を食べ片してパッキング完了。
んん…いくら待っても止まない。いい加減諦めて飛ばされそうになりながらテント撤収~。北岳へ向かうものの、尋常じゃない強風で、山頂に出られないだろうと判断して、というか視界のない中二重稜線は怖いので、潔く引き返して南へ。
小屋のお兄さんに心配されながら出発。途中で単独のお兄さんがいたので間ノ岳まで一緒に行くことに。会話をするのが若干大変だったしペースを合わせるのが疲れたけど心強かった。
別れてからはノンストップで目指すは小屋。泊めてくれなかったらどうしよう、と思いつつ小屋に泊まることを希望に暴風雨に向かった。疲れるし雨が痛かった。




寒いしお腹空いたし…とにかく寒くて。
小屋に入ると単独のお兄さんが1人いた。おもろいことに、私がクライマーだとバレた。超能力者かと思った。でもこの筋肉はばれますね。てへっ。
後から2人単独が到着。みんなもの好きでほんとに愉快な1日だった。夕飯に豚の角煮が出たことには感動した。みんな少食だなあ。ご飯お替りして今日もお腹パンパン。
おやすみなさい。



8月31日
熊ノ平小屋6:25、新蛇抜山7:55‐‐‐R8:10、25‐‐‐北荒川岳9:25‐‐‐ザレ場(倒壊小屋)9:35、45‐‐‐(R1)‐‐‐塩見岳12:25‐‐‐塩見小屋13:25、40‐‐‐本谷山15:10、15‐‐‐(水場20分)‐‐‐三伏峠16:15(幕)

この日は12時間。コースタイムは10時間。
2時間オーバー。
北荒川岳付近は風が思いっきり当たって逃げるところがないので強烈だった。休むと濡れた体に強風で体温が奪われていく…
塩見岳への登りは特に風当たりが強くて、普通には登れなかった。正直こんな強風の中こんな長い時間歩いたことないから、行っていいのか少し悩んだ。しかも先が見えない。でも戻っても同じこと。なんとか力を入れて立って、弱まる一瞬に動くとなんとか高度を稼げた。下りの方がまだ風はましだった。





奥に甲斐駒ヶ岳が見えます。
ここまで来たか!



塩見岳の山頂、通過。
とてもじゃないけど風が強かった思い出しか、無い。                          







ことで塩見岳からの下りはこんな感じ。天気良いし、風弱いし、雨止んだし!みたいな。


三伏山。この日のテントは私だけ。小屋の人もかなり心配してくれた。
テントに入るなり、ご飯を食べかけで寝てしまった。







9月1日
三伏峠小屋9:10‐‐‐烏帽子岳10:05、20‐‐‐小河内岳11:50‐‐‐高山裏小屋14:55(幕)

起きたらとっくに明るかった。やっちまったぜ☆
この日はレスト日にすることにして、のんびり出発。
上にあがったら、雨は止んで雲と山がきれいな塩梅で広がっていた。

人にも会わず、雷鳥が先を行きます。

実は三伏峠のバスはもう終わっており、小屋の営業も終わり出していた。小河内も高山裏もそう。もう、戻るという選択肢は無くなったのだ。そのため、登山者はほとんどいなかった。この日会ったのは1人。

ここの避難小屋は、ロケーション抜群の所にありました。いつか利用したい。

高山裏の御主人には声が小さいとお叱りを受け、しかし愛のある方面の人で、色々と教えてくれた。ちょうど前日までの営業で、小屋締めをしていたのだ。
「明日歩けんのかその足で!明日は長いぞ!自分によく聞いてみな!」と。トイレは冬期用になっており、ワイルドで扉がちょっと透間…まいっかこの下に落ちてるのもどうせじいちゃんのだろうしw
何食ったら…とその話はやめておこう。



9月2日
高山裏小屋5:40‐‐‐R9:10、9:15‐‐‐荒川小屋10:00、10‐‐‐R11:10、20‐‐‐赤石岳13:00‐‐‐R13:05‐‐‐百閒洞山の家15:15(泊)

コースタイムは9時間20分。これにオプションとして荒川三山をつけられる。

思った以上にこの日も風が強く荒川岳との分岐に出るまでも、細い稜線は本当に強風だった。いい加減どんな前線がつきまとっているのかと呆れるくらいだ。
真っ白なので写真なんて撮らず、この日の1枚目が荒川小屋である。風に疲労を感じて、しかしこの視界の開けっぷり(写真は本当に天気がいい方。)に気持ちを立て直す。
小屋の方に「荒川岳は行ったの?」と言われて即答。「行ってないです、もうあれは今度でいいです。」と。視界があったら行ったかもしれないけど、強風の稜線にわざわざ行くなんて正直分からない。ピークハントではなく、黒戸から光を目指すという趣旨に変えると、気持ちがいくらかは楽になった。

荒川小屋の人は良さそうなので、今度行きます。行けなかった荒川三山と共に。



さあこれは何の写真でしょうか?今見返しても白いだけでよくわからない。
けど、この時は視界がひらけた!と思って撮ったんでしょうw



荒川小屋から赤石岳は、非常に風が強く、というか、正面から来るので例の「雨が痛いお年頃」ってやつでした。正直苦労した。

で、赤石岳です!かの有名な赤石山脈なのです!
ずいぶん頑丈な感じで囲まれてますね。ここも強風なので通過。

風止んだ―!とおもって休んだら突風が…
わかった、南アルプスの南部はこんなにも山自体が孤立していて大きい。1日のアップダウンも激しいし、さらにガレ場というか崩落が非常に多い。段々慣れてきた。

そんなところで小屋に着く。
ん?テン場と小屋がえらい離れてるな…今の私には戻る気力は残っていなかった。
女の人で?1人?テカリまで?すごいですねー!と小屋番の人に言われたり泊まってるおじちゃんたちにたかられたり。
夜はいつの間にか寝ていた。

あ、この日、百閒洞平のあたりで熊を見ました。熊さんの耳をしていたので、熊でしょう。ザックカバーが風で吹っ飛んできたのかと思って思わず見入っちゃったぜ。

9月3日
百閒洞山の家5:40‐‐‐丸山7:10‐‐‐兎岳‐‐‐聖岳10:55、11:00‐‐‐小聖岳11:35‐‐‐聖平小屋分岐12:35‐‐‐茶臼小屋16:30(泊)

久々の景色。てゆうか今回、9日目にして初めての富士山!もうゴールも見えてきた。
が、この山行で1番過酷な1日になるのでした。



聖岳。
う~ん、堂々としてるね。




変な雲。
登る登る。その間は吹きっさらしで、まったく休めない。竜巻のような雲も見えた。富士山には笠雲がかかっていた。雲が見えるだけ今日は天気良いのかとか思ったけど、他の人には決して言わなかった。

兎岳。
地図上では「うさぎか~可愛い名前だな。どうせしょぼい山なんだろっ!」とか思ってたんだけど、意外に厄介だった。
途中の避難小屋もちょっと変だし、山頂までも、意外に登る。何一つとして可愛い要素は感じられなかった。


あれっ?って思ってるうちに聖岳到着。
ここまで抜きつ抜かれつのおじちゃんたちに「姉ちゃんは女神さまだ!こんなとこで会えるなんてもう一生ないよ!」と喜ばれ、一緒に写真。
私「ザック重いから下ろしたい…」
おじちゃん「だめだよ、それがいいんじゃない!」

私は女神ではない。だけど、こんなとこに私みたいなの、いないか。おじちゃんたち、楽しい時間をありがとう!

ここからは時間との勝負なので、転げ落ちるように小屋へ。聖平小屋の時点で時間があったので懸命に登る。だけど、ここが全く着かない。呆れるほどピークに着かなくて雨風も強まり焦ってきた。けど、ほんとに着かない。やっと着いたポイントが、思っていた場所よりも遥か手前だったことに失望…
足裏も痛かったけどそんなこと言ってられないので、ロキソニンで隠す。

さて…小屋の分岐看板が出てきた。
初めて「光岳」の文字を目にして涙が…一気に力が抜けて、小屋までの下り道はヨロヨロだった。テントのつもりが予想外に雨が戻ってきて風も強かった。これはもしや明け方まで続くのか?と考え、小屋で「天気、よくなりますか?」と力を振り絞って聞いた。もっとひどくなる、とのことだったので、完全に諦めて素泊まりをお願いした。
ご主人は「泊まるなら、お金後でいいから早く荷物を部屋にあげて、服を乾かしな。」と。甘えて総着替え。お客さんが濡れた服を乾かしに行ってくれ、小屋のお姉さんが暖かいゆずティーを持ってきてくれた。早く下に来て!と。もう涙が止まらなかった。
下りるとちょうど夕飯の時間。残ったクッキーでも食べようと思っていたら、なんとどんぶりいっぱいのおかゆと味噌汁を食べさせてくれた。うまく喋れなかったけど、本当に美味しかった。テント泊の予定で、しかも素泊まりなのに・・・感謝の気持ちしかありません。
その後足を見た小屋の人がお湯を沸かしてくれて洗わせてくれた。情けないけど本当にありがとうございます。
今夜も熟睡なり。

9月4日
茶臼小屋6:25‐‐‐光小屋10:10、25‐‐‐光岳‐‐‐光小屋11:50‐‐‐茶臼小屋15:15

パンパンの足を濡れた靴に無理やり詰め込んで今日も出発。
ついに今日は光岳へ!

久々の晴れ!快晴!



易老渡とはよく聞くやつ。ずっと憧れていた彼。その易老岳です!


おおおおおーーーーー!!!!
こんなに山って山が見えるのか!山にいたのか!そうか、こんなに景色がいいのか!と思ったのです。

気が付けば、もう甲斐駒ヶ岳は見えない。そうか、そんな南まで歩いてきたのか(´▽`*)


いよいよかな?
光岳って、どんな山なのだろう。鼓動が早まった。
最高の青空!


わあああーーーーー!!!
光小屋じゃないですかあ!赤い屋根の。
久しぶりの天気で、洗濯物も良く乾きそう。

どんな小屋なんだろう。
どんなご主人なんだろう。

薪割をしているのはきっとご主人だ!
一緒に写真を撮ってもらった。光岳に来てやりたいことの1つだった。その訳を話して、山頂へ。

やっと来ました!!
あーだこーだセルフタイマーで撮るのにやけに手こずった。いい感じに逆光で、暗くて。




少し先に行くと展望があります。
いいねぇ~こう見てくると、茶臼から南は山頂が森林限界に達しない。ハイマツは光岳以南には生えない、と聞いたのは本当みたい。

白く見えるのがテカリ石。





どれが何の山なのか分からないけど、奥深い。
ここから先は、本当に深い。





テカリ石。
眺めは格別だった!

どのくらい遊んだかな?
小屋に戻るとご主人に呼ばれた。お土産、とポーチにパンパンにTシャツを詰め込んでくれた。今度は親も連れて行きますね。
自分の名前の山は、本当に温かかった。山はパッとしないし、全然目立たないし、聖と比べたらえらい違いだ。だけど、そんなことない。ここには行って分かる本当の良さがあった。憧れていた南アルプス全山縦走は、南アルプスをもっと好きにさせてくれた。


帰りはもう真っ白。


と思ったら小屋が見える!
あの赤い屋根。
お世話になりました。テーピングと日本酒を返しに、また行きます。





9月5日
茶臼小屋6:30‐‐‐畑薙大吊橋10:20、10:40=(バス)=白樺荘11:00→温泉

最終日の朝。
やっとご来光を拝めた。やっぱり山はこうでなくっちゃ!と思えたのでした。山嫌いにならなくて、よかったぁ~

優雅に朝からモンブランとコーヒータイム。

さすがにあれなんで、皿洗いをして出発です。
本当に寂しいです。それはこの小屋の人たちを別れるということ、南アルプスの思い出から、今日の目標が下界だということ。思い切って外に出た。小屋の窓からみんなが手を振ってくれていた。本当にありがとう!






沢まで下りても、意外に距離がある。なんとか沢、さんちゃら沢って。




へなぁ~ヤレヤレ。
どっちがヤレヤレだか。

しばらくすると、下にダムが見えてきた。下界はもうそこか。
寂しい。というより、バスの時間に間に合わないかもしれないと思って出来るだけ走った。足が痛いはずが、走ってる。
さらに、大吊橋がチラリ!!もうダッシュ。どこにこんな余力が残っていたのかと、思わず笑ってしまった。



はい、つり橋!ここまでです。
山はここで終わりです!橋を渡れば、もう下界です。人もいるでしょうし、道路もあるんでしょう。温泉だってある。なんだか感慨深い。まっすぐにのびる橋、一歩一歩踏みしめて渡った。全てが満足のいく山行になった。

履いていた靴下は速攻でゴミへ。バスの来るまでしばし荷物分け。自分が臭いのはもうしょうがない。
なんだか荒い運転のバスですぐに白樺荘へ。温泉だ!
もう、超臭い。だけじゃなくて、一昨日耳に綿棒を入れたら大変なことになっていたり、顔の垢がポロポロ…どうしょもないので速攻温泉へ♨
髪3回、体5回洗って、湯船につからず(足の裏がひどいので入れなかった)、でも足臭いと言われ…この山行は強烈だった。






【リンク先】
北杜タクシー(¥3000~3500程度)
白樺荘(温泉。自家用車はこの辺りまで。)
畑薙ダム~白樺荘・静岡駅(必ず小屋、観光協会等に連絡した方がいいです。予約しないと利用できないものもあるようで、私は遠山郷の方へ下山予定だったので調べていませんでしたが、小屋で教えてもらいました。)








2015-06-24

仙塩尾根

日程:2014年8月下旬
山域:南アルプス仙塩尾根(北沢峠~仙丈ケ岳~塩見岳~鳥倉登山口)
形態:単独テント縦走

 南アルプスの北部、標高2030に位置する北沢峠は仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳への登山口として知られ、その歴史も深い。拠点となる山小屋もまた同じだ。現在の長衛小屋については、数年前に行った記憶では、地図と実際の山小屋名が異なっていたためよくわからないまま計画書を書いて、顧問に注意された思い出がある。2013年の高原地図とそれ以前の地形図との表記も異なり、今年の看板も違っていた。ここを利用する時は毎回よくわからないことになっていた。せっかくなので、調べてみた。


~北沢峠の小屋~
1930年 伊那市出身の竹沢長衛(1889~1958)が長衛小屋を建てる
1962年 二代目長衛が長衛荘を建てる
1979 年 長衛荘、旧長谷村(現伊那市)に譲渡
1996年 長衛小屋、旧芦安村(現南アルプス市)に譲渡
1992年 NPO法人芦安ファンクラブ設立
2003年 芦安村、櫛形町、若草町、白根町、甲西町、八田村が合併→南アルプス市となる
2006年 長谷村、伊那市、高遠村が合併→伊那市となる
      長衛小屋、NPO法人芦安ファンクラブに委託
      長衛小屋、二代目長衛の要望により北沢駒仙小屋に(似た名による混乱を避けるため)
2011.11~2013.6 長衛小屋、改装のため休業
2013年 北沢駒仙小屋→長衛小屋(伊那市が南アルプス市にもちかけ、竹沢長衛を尊重して元の
      名に戻した)
                長衛荘→こもれび山荘(混乱を避けるため、公募で決定した名)

                                       行く年前後に限って名前が変わっていたようだ。受け継ぐ人の愛によって存在する長衛という名。
                                       これからも大事に想い続けていたい。

さて、1週間前に北沢峠で敗退してからというもの、まともにご飯も食べず、ボルダージム行ったりクライミングの映画観たり…。見かねた家族に「早く山の支度しなさい!」と言われて思い出した。そうか、南まで歩きたかったのだ!ということで第二弾出発。またもや10日分の食料と共に。その代りシュラフは無し。
【1日目】
甲府駅=(バス)=奈良田経由、広河原乗り換え、北沢峠‐‐‐長衛小屋(幕)
私は考えた。北沢峠から入山すれば仙塩尾根に入らないわけにはいかないだろう、と。

【2日目】
長衛小屋7:00‐‐‐二合目7:52、8:00‐‐‐四合目8:55、9:05‐‐‐大滝頭9:27、9:30‐‐‐小仙丈ケ岳10:40、10:50‐‐‐仙丈小屋11:35(泊)

実は前日、北沢峠から仙丈小屋の予約を取っていたのだ。テント担いで、何やってんだ。と言われそうだが、なるべく体力を使いたくなかった。どうしてもこの荷物だと熊ノ平小屋までに1泊必要にな
                                       る。本来なら両俣小屋であろう。ただ、そこに寄ると、翌朝1時間の登り返しがある。これがどうしても
                                       嫌だったので小屋に泊まってしまった。小屋営業時期にビバークはしたくなかったから。

テント装備の人はおらず、ワイワイ騒ぎながら登っている人たちに道を譲り、苦行のようにひたすら登り続けた。縦走だとだいたい初日がキツイ。荷物も多く、露でテントも重くなっている。写真が残っていないのもそういうことだ。
小屋へは早く着いたようで、良い場所を割り当てられた。オジサンド(※1)だったら生きた心地がしなかっただろう。やることもないので昼寝して夕飯食べて、小屋の夕飯の匂いに耐えながら夕寝して明日の支度をして朝まで寝た。素泊まりとはこんなにも惨めなものなのかと、思い知った日だった。

【3日目】
仙丈小屋4:55‐‐‐仙丈ケ岳5:20、5:25‐‐‐大仙丈ケ岳5:52‐‐‐(R1)‐‐‐伊那荒倉岳8:05、8:10‐‐‐2449地点(独標)8:50、9:02‐‐‐横川岳9:40‐‐‐野呂川越10:10‐‐‐(R3)‐‐‐三峰岳14:10、14:20‐‐‐熊ノ平小屋15:40(幕)

一晩中吹いていた風は、朝方になっても止む気配は無かった。外の自炊小屋で具の無いラーメンを食べるが、強風は続いた。この1泊で何人かと話す仲になり、惜しみながらも出発。
案の定、歩くと暑くなってくる。仙丈ケ岳からの御来光には間に合った。
仙丈から農鳥まで行くという人が1人いた。少し先で体格の良い2人とすれ違った。さあここから少し開けた岩道を下ると次第に木々に囲まれてくる。樹林帯に突入だ。なんだか薄気味悪い、鬱蒼とした森を登って下って、倒木だらけ森を進んでゆく。男の人1人に抜かれる。
果てしなく足を動かすこと数時間、周りより高いだけで相変わらず樹林帯な伊那荒倉岳に到着。なんだか熊でもいそうな感じだが口にアルファ米を詰め込む。
山頂というからには少しは期待するのだが、ずっと薄暗い森の中、1人で歩いているといい加減嫌になって来る。だけど、ここから逃げようにも行くか戻るかしかない。地図に「露岩、ハイマツ、シャクナゲ、独標」の文字。まさにオアシスではないか。


期待通りの展望のきく場所、ほんの一カ所だけ出現。慌ただしく動いていたせいか、12分の休憩がかなり長く感じられた。日差しに別れを告げ、再び暗い森へ。


嫌になりかけた頃、横川岳に到着。待ってました!と言わんばかりに小太りの男性が鎮座。
「後から女性が来ますよ」とすれ違った人に言われたらしく、心待ちにしていたようだ。こりゃ、期待外れかな(笑)
なにはともあれ、お互い人に会えたことが嬉しくて。彼はこの先の道の情況を聞いてきた。「ずっと登りですね、一カ所だけ展望がきくので、そこで休憩したらいいですよ」と。なんと酷なアドバイスをしたものか。ただ、すぐだ、と教えられた野呂川越は30分もかかった。あの小太りも侮れない。
両俣小屋への分岐を振り切って進む。3人組にすれ違った。彼らは両俣小屋までだということで、穏やかな顔をしていた。私の予定を告げると「頑張ってください」と意味ありげに笑っていた。徐々にビバーク地点を探し始めたが、頭が働かなくなってきていた。まずい。進めど進めど景色もなく。写真が無いのはザックを下す気力が無かったから。
ようやく三峰岳らしきものが見えてくる。しかしピークがいくつかある、その先のようだ。希望を絶たれたような気持ちで進む。三峰岳への最後の登りは、岩場。振り絞って正直ヘロヘロで山頂へ這い上がった。


が、360度の展望。これには参った。
下に小屋も確認できたので後は下るだけ。ボーっとしてると慌ただしく1人の女性が反対側から登ってきた。どちらに下りたかは覚えていない。お互い必死だった。

1日で歩いてきた道だ。あと半分は明日のお楽しみ。
こんな幸せは他にあるだろうか。
それにしても下りねばならない。最後の1時間20分が私を追い込んだ。人工的な道、トラロープの張られた斜面、整地されたテン場。目の焦点が合わなくなった頃、小屋に着いた。スレスレだった。
外にいたガイドのおじさんに感心されべた褒めされ、小屋へ。小屋の人もいい人だった。何もないのは南アルプスだからだろう。テントはこの日2張りだった。
テントを張るととっくに気象通報も終わっており、何を食べるわけでもなく、お餅と水で空腹を堪えた。すぐに雨となり、もはやそのまま眠りについた。


【4日目】
停滞

そう、本日の仕事は停滞。なぜって?止まない雨の中、激しい疲労で半日の行動は御免だったから。
熊ノ平小屋の人と話して、1日寝て過ごした。こんな山奥で、なんと優雅な休日ではないか。





【5日目】
熊ノ平小屋5:10‐‐‐(R1)‐‐‐安倍荒倉岳5:50‐‐‐(R1)‐‐‐北荒川岳7:45‐‐‐(R1)‐‐‐塩見岳10:27、10:55‐‐‐塩見小屋11:40、11:55‐‐‐(R1)‐‐‐本谷山13:37、13:47‐‐‐三伏峠小屋14:44(幕)

この日は長かった。朝出てすぐに5~6人のパーティーに追いついた。すぐにまた静寂となった。ひたすらに森の中を歩き続け天気は良くなかったが時折向かいの山も見えた。しかし荒川岳に着く頃には視界は真っ白、広がった尾根道には微かにピンクテープが付けられていた。

ここまではどれもこれも地味な山頂であった。

ここからはいよいよ南部へ。歩けど歩けど人もいない。樹林帯を抜けて岩場が出てきた。視界がほぼないため、こんどはペンキマークがよく見えなかった。そのまま崖を下り降りて行ってしまったときにはさすがにダメだと思った。気持ちを入れなければ。


さあ、段々と登りが続くようになってきた。そろそろ塩見岳に入ってきたか?読図から考えると、自分の目の前には塩見岳が大きな姿を構えている、はずだ。しかし見えない。ここまで視界のない中どちらに進むかわからない登山道を歩くのは変な感じだ。向かいから1人、下りてきた。少ししてもう1人、すれ違った。雨も増してきて視界のない上に向かって無心で歩く。しかもこちら側の道を通る人は少ないためか、急な上にガレと砂で滑り落ちそうだ。下ってきたおじちゃんは慎重だった。休まずに一気に駆け上がると、何人かいた。山頂に出たらしい。が、視界が無くてどこがピークなのかわからない。歩き回って探すとなんとか見つかった。男性3人、男の子1人のパーティーがいた。百名山はいくつ登ったか、と聞かれたがそんなの知らないのだ。現に北岳、間ノ岳を横目に見てきたのだし。とまあ久しぶりに人と話してからは、人とよく会った。
塩見小屋、三伏峠小屋とのピストンが大半のようだ。

塩見小屋ではトイレを借りた。
さあここからはもう安心。遊歩道のような道に思えた。一昨日からお腹がグーグー鳴っていたので、今日もまたうるさかった。アルファ米のチキンライスは美味しかった。


朝から9時間半。やっとのことで三伏峠小屋に着いた。
小屋の前で「あ゛~やっと着いたぁ~~!」と思わず叫ぶと、近くにいたおじちゃんたちが「いや、この子は相当だよ…大したもんだぁ…」とジロジロ見てきたのでそそくさと小屋に入りテントのお金を払った。明日の予定を聞かれたので「三伏峠に下ります」と伝えた。再度聞かれた。同じく答えた。また聞かれた。もう完全にここが下山口だと思っていた。「で、ここから下るとどこに下りるんですか?そこに行きたいんだ」と危険視されるような答えをしてしまった。馬鹿らしいほどにここはもう町だと思っていた。
というのも、実はこの先南部へ行く予定だったのだが、帰りたかった。バスの時刻表が張られているのを見て、一気に気持ちがそっちに行った。

黒戸尾根から登っていないのに南まで抜けるのはモチベーションに欠ける。
しかもホットケーキが食べたかった。

この日はインスタントの焼きそば、お餅inお茶漬けのもと、白米、水、と、寝る時間まで調理して
                                      食べ続けた。それでもお腹はいっぱいじゃなかった。

                                      夜も雨だった。
                                      大騒ぎをする韓国人の声も、いつしか雨にかき消されていた。

【6日目】
三伏峠6:25‐‐‐鳥倉登山口8:10、9:10=(伊那バス)=伊那大島駅11:00
朝も雨だった。お餅を2つ、食べた。もうインスタントラーメンのあのにおいは無理だ。体が拒絶していた。下山時まで濡れるのか、と思いながら止まない雨に諦めをつけ、テント撤収。
バス停に下りると、予想通り仮設のトイレが並んでいた。
駅に着くと、思わずセブンイレブンが近くにあった。これは奇跡だ!と思いながら好きな物を買いまくった。炭酸ジュース、塩カルビ弁当、カットメロン。お酒は買わなかった。とにかくお腹が空いて水分不足なのだ。
もはや温泉はないので諦め。しかしこれはいかんと思って駅のトイレで着替えて、適当に洗い流して全身にリセッシュを吹きかけて完了。気持ちのいい夏だ。山梨の大学生4人と、おじちゃんと駅で話しながら電車を待った。
途中の乗換駅では、大きなおにぎり、これまた大きなチキンカツを買い食い、駅そばも食べた。何日分だろうか。幸せだった。

完全に1人だった。この夏の山は一生忘れないだろう。

そして次の夏こそ、歩き通す。



(※1)「オジサンド」とは、混雑した山小屋で布団が3人で2枚くらいの割り当ての中、山のオヤジ達の間に寝ざるを得ない現象のこと。これに類似した現象が1張りのテント内でも起こり得るが、テント泊は何でも許せる人としか行かないので、あれは俗に「おしくらまんじゅう」と言ってもよい。

黒蔵谷

日程:2015年5月上旬、2泊3日
山域:南紀;大塔川
行程:黒蔵谷出合~黒蔵谷~大杉谷林道
形態:沢登り、2p

1月の終わり、トレーニング中にクライミングジムで怪我をした。胸椎が折れた。救急車で運ばれそのまま入院、10日を過ごすことになった。こうして1週間後に控えたボルダーツアーと航空券は泡と消え、病室から飛行機を見送ることになったのであった。
そんな中、見舞いで持ってきてくれた1冊の本――渋い沢の本だった。去年の秋からヒトケのいない山に惹きつけられていたものだから、興味があった。その中でも特に気になる沢をいくつかメモしていた。そのうちの1つにこの谷があった。なぜ書き留めたのかは覚えていないが、ベットから見た、遥かな夢だったのかもしれない。
それから2ヶ月のコルセット生活を終え、1ヶ月のリハビリで山への復帰目処が立った。ちょうどこの頃、沢の人と話があり久しぶりに人と行った。完全におんぶにだっこ状態になった。

郡山ICを降りて下道を走ること140㎞。山道はなかなかであった。川湯温泉から入る県道241号線は、途中から林道となり、タイヤにも厳しい道となっていった。結局1日目、山に入ったのは14時だった。


【1日目】
黒蔵谷出合14:00---下ノ廊下---18:15(幕)

最初の鮎返しの滝は巻いた。骨の強度は戻ったとは言え、周辺の細胞が悲鳴を上げていた。

巻き終えると綺麗な水が待っていた。透き通るこの山の水は、初めて見たような美しさだった。

どこまでも続いているようなゴルジュ帯。
泳ぎ方は全く分からなかったので、この日は溺れてロープで引っ張ってもらうこと数回。
嫌いだった水への恐怖心が少し減ったのではないかと思う。

しかし、綺麗だ、と何度言ったかわからない。
とは言え、いくら泳げなくても、いくら水が苦手でも、日暮れまでもう少し。ロープを出していたら暗くなってしまう。それは本気で最悪だということだけはわかっていたので、集中して泳いだ。1日溺れた甲斐があった。日没直前でゴルジュ帯を抜けた。
薪を集め終わる頃、暗くなった。
【2日目】
7:00---高山谷出合---カンタロウ滝---17:30(幕)

タープの下にもぐり込んだ、と思ったら朝になっていた。濡れた服に着替え直し、いざ中ノ廊下へ。

徐々に分かってきた。口は「水が綺麗!」と発し、頭では「綺麗に見えるほど深いのだから、泳がないといけない」と理解するようになっていった。

そしてついに飛び込む時が来た。
これほどまでに苦手なことはない。しかし厳しい視線を感じたので、思い切って飛び込んだ。鼻と口をめいっぱいに開いて飛び込んだらどうなるか、考えておらず、溺れかけた。
夢中でロープを手繰り、アッセンダーにしがみ付いた。同じところで2、3度流され、いい加減にしたいのは2人とも同じだった。
雨も降ってきた。
まだまだ続く。
泳いでも泳いでも、まだ泳ぐ。


地図上のカンタロウ滝。

これは巻く。 右岸を大きく巻いて最後は懸垂下降。
なんとも、山の山たるや。
これぞ山。
存分に山を味わったところで、また水。泳いで泳いで段々慣れてきた。が、イマイチ泳ぎ方が分からないので無駄に力を使ってしまう。そんなこんなでヘロヘロになると同時に日暮れも気になり始めた。
これが何の滝なのかは確認する気力は無かったが、沢の人の判断で言われた通りのところを登ろうとするけど、全身にぶち当たって来る水で身動きが取れなくなってしまった。訳が分からなくなって左右逆方向にロープを引いたりしていたらしい。それでは動けるはずがない。


ここを上がると、いよいよカウントダウン。
何にかって、夜に向けて。

それでも続く長い淵。終りが見えない。
もはや気持ちで体を動かしているような状態で、水が深くなれば倒れ入るように仰向けに浮かび、無心で進んだ。
この日の最後に、やっと1回で泳ぎ切れるようになった。というよりは、暗くなる前に抜けなければという義務のレールに乗っかっている感覚だった。

抜けた。
幕営の準備をして着替えて腰を下ろした。
とりあえず行動食の余りを食べた。
やっと感情が戻ってきた。沢の人の顔を見ると笑顔だった。
この日は蛭に怯えながらも、十分に休んだ。

 【3日目】
8:30---黒蔵滝---10mトイ---二俣11:30、12:00---林道13:00、13:30---ゲート15:15

朝から泳ぐ。さあ、曲がると大きな釜が現れた。岩がヌメヌメで、先行が派手に滑り落ちていったので慎重に。
ロープを出してもらい、やっと勝手が分かって来たガチャガチャ類を使いセルフまで行き着いた。ここからのトラバースもセットしてくれた。全身ガクガクで1枚撮ったのがこの写真。

カムもハーケンも仕組みをよく知らないまま頼ることになった。沢の人の言う通りにした。
越えると一安心。新緑だ。

最後の林道までの登りは、崩落した後のような場所だった。

カードレールが見えた。
あと3メートル。気を抜くな、と言われた。
這い上がった。


9年前、沢はよくわからなかった。
8年前、沢はどうでもよかった。
5年前、沢に興味が湧いた。
3年前、行きたくて行った沢は疲れた。
去年、1人で沢筋歩きを始めた。
今回、最高に楽しかった。

背中の調子が完全ではないため、プッシュをすると肺が潰れそうになった。かなり時間がかかってしまったけど、なんとかスレスレの時間で下山完了。

林道は笑いながら歩くことができた。





【補足】
・交通手段は車です。
・入渓地点に車を置き、少し先の林道終点に自転車を置いて帰りの時間を短縮(一応)。
・紀伊半島の真ん中を通る道には、コンビニはないので、買うなら高速下りてすぐ。
・那智方面を通る道なら、サークルⓀがよくあります。
・遅くまでやってる温泉は、わたらせ温泉。
・少し前まで怪我人でした、時間・状況は参考にしないでください。この山行の相方は、沢の人です。この状況の自分を連れていける余裕のある人です。
・怪我の前に体がある程度鍛えられていたため、この期間での復帰が可能になったのかもしれません。怪我はしないが一番、リハビリは着実と。