日程 : 2024/7/13〜15 2泊3日
行程 : 寸又峡温泉〜寸又川左岸林道〜諸沢山〜寸又峡温泉
メンバー : 3人
7/13
曇り時々晴れ一時小雨夜は雨
寸又峡温泉1:00---左岸林道---お立ち台5:45---栃沢出合小屋20:00(幕)
7/14
曇りのち晴れのち曇り夕方から雨
栃沢出合小屋9:30---釜ノ島小屋12:00(幕)‐‐‐偵察
7/15
雨のち曇り
釜ノ島小屋2:00---赤沢渡渉---赤沢尾根---1782---諸沢山11:00---1448---南の尾根のコル付近---日向林道14:00---千頭ダム16:30---寸又川右岸林道---寸又峡温泉19:45→ご厚意で日帰り温泉に入れさせて頂き、コンビニでご飯を食べて1:00過ぎ埼玉へ帰還。
4月半ばから体力をつけようと山を歩きまくった結果、クライミングも好きだけどやっぱり山も好きだったことを改めて思い出した。
行きたい!と思える山って、実は出会うのが難しい。心の底から求めているもの、それが実は今回の山行だったのかもしれない。
ヤブ山行こう!という、たくちゃんからの誘いで、ついに『藪山賛歌』に手を出した。そうなれば話は早い。
行き場所はすぐに決まった。
深南部核心部だ。寸又峡温泉〜左岸林道〜千頭山〜池口岳〜鶏冠山〜合地山〜諸沢山〜寸又峡温泉というルートを計画した。できれば途中で幻の池も寄りたい。
結果としては、今回は左岸林道から諸沢山に逃げる形になってしまったので残念ではあるが、総合的に見てこれが妥当だったのだろう。
そもそも左岸林道に関しての情報は少なく、尚且つ特に南アルプスの光以南では林道等の土砂崩れは起こりやすい上に左岸林道ともなれば復旧などは全くない。崩壊が進む一方なのだ。1ヶ月前、1週間前の記録さえも殆ど参考にならないのではないだろうか。
かくして我々は想像以上の左岸林道の状態に、本で見た11時間を遥かに超えて、寸又峡温泉から赤沢の橋まで23時間ほどかかったのであった。
たくちゃんの言っていた、オンサイトとはこのことで、道の状態がわからなかったため、無駄な装備も多々あった。斜面の横切り方も、初めからわかっていればもっと早く通過できたはず。次に行くときは全てわかっているのでもうレッドポイント。うーん、これいつ話したんだっけぇ。すんごく共感できることを話してくれたなぁ。
今回は人生に一度しかないオンサイトトライ山行。それゆえにチームとしてベストを尽くしたんだと思う。とはいえとはいえ、憧れていた幻の池や、大井川源流部原生自然環境保全地域に入れなかった(数年前残雪期には踏み入っているが)ことが、自分の実力の観点から見て及ばなかった部分を思うと、自ずと涙をのむ結果となった。
と、深南部に関して思うことをつらつらしたが、今回の状態と天気での左岸林道突破は、間違いなく心を満たしてくれた。登山というジャンルだけで言えば、黒戸尾根〜光岳の南アルプス縦走と並ぶくらいの充実度だった。いや、それを遥かに超えた気もする。
こんな山に行けたのも、仲間のおかげ。
たくちゃんとの付き合いは10年弱?の割にボルダーしか一緒にしたことがなかった。その飲み仲間のこーじくんに至っては、この山行が決まってから知り合った。普段人と山に行かない自分なんかと組んでくれていいものか?と思ったけれど、2人はそんな心配なんか忘れさせてくれるように接してくれた。ほんとにありがたぁ。2人のことを信用しきれる状態で山に入れたのも、本当に感謝したい。
で、また長くなったので、写真と共に左岸林道と深南部の過去と今をお楽しみください。
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0日目
午後から夕方にかけて大雨予報だったため、予備日を初日に使うことにした。静岡市内に夜中に到着後、明け方近くまで飲んで寝て海鮮丼食べに行ったり飲んだり寝たりお風呂楽しんでる人がいたり寝たりして過ごした。快適極まりない宿だった。
22時にチェックアウト。ファミレスでご飯を食べて(頼みすぎて食べきれなかった人の分も戴いて)、寸又峡温泉へと向かった。
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1日目
車はGoogleマップでいう"寸又峡駐車場"に止めた。トイレも自販機もあり、広いアスファルトで快適に準備ができた。
温泉街を奥まで行くと、こんなのがあった。この横に温泉が出ていたので下山後のお風呂が間に合わなかったら少し頂戴して浴びさせてもらおうと心に誓って入山。果たして結末やいかに。いつ戻ってこられるのか!!てゆうか最後まで突破できるのか!?
林道の看板を確認して、いざ!!
と、開始早々倒木で道が塞がれていて幸先おいおいって感じだがその後、お立ち台までは平凡な道だった。
雨予報のつもり満々で来ていたので、こんなに深南部の景色が見られるとは思ってもいなかった。
感動!
初めて光岳に行った時に見た、光より南の山々。そんな現代離れした山域に、今いるんだ。
とても歩きやすい平凡な林道。
左岸林道ではガードレールも垂直に落ちる
ふーん深南部の山々...☺️
たまに崩れてもいる
かつては林業で奥まで車が入っていたこともあり、道幅はある。崩れてさえいなければ、結構時間は稼げる。
6時ちょい前。お立ち台より。
ここまでの間で9年くらい大切に使ってたモンベルのピンクのタオルをなくした。ショックを受けているうちに2人は奥の方に光岳らしき山を見つけたらしい。探しに行くのを心広く待っていてくれた2人に感謝。今頃土砂崩れの瓦礫の下なんだろうな。
よし、忘れよう!
お立ち台から少しして、最初の難関が現れた。ここであーだこーだして、なんと1時間半も使ってしまう。
3人とも素直なので、導かれるようにトラロープ沿いに崩壊斜面をトラバース。いや、この斜面は突っ切りたくなるでしょ!
渡った先にも長い崩壊斜面、現る。支点は取れない。
こりゃちょっと経験値の違う3人にはリスクがあった。行けなくてごめんね、たくちゃん。でも斜面慣れした終わった今思うに、私あそこを全力ダッシュで落ちながら駆け抜けたいわ。爽快だろうなぁ〜
では、トラバースし切った地点から、崩壊斜面の下を行くのはどうかということで、たくちゃんリードで、私もついてった。しばし相談。どうやらその先は懸垂気味に横切って行くのはどうかという話に。行こう!となったけれど、色々考えて(胸の内ははしょらせて)コージくんのいる場所まで戻ることにした。ここで再び相談。ガレ斜面のすぐ横を登る案もなくはなかったが、上部がリスクありそうで完全にボロ山クライミングの予感のため却下。実際、こういった箇所が今後も続くとなれば、正直3人で突破するには厳しいものがありそうだった。元々、敗退するかもね、という前提で入っているので、ここでそうなっても仕方がない。例えここを通過したとしても、戻れるのか。先へ行けるのか。ビバーク地点はあるのか。不明な点が多すぎた。帰宅フラグが立った。ここで諦め悪く、諸沢山で1泊してから帰るのもありではと提案をした私に対して2人はきっと、帰らんのかいって思ったことだろうか。少なくともこの2人じゃなければ、二度と一緒に山に行ってくれない発言だったと思う。あ、また行ってね?笑
ただ、ひとつだけ気になることがあった。この斜面自体を高巻いている記録があることだ。こーじくんの意見を尊重した。それに賭けてみようということになり、ひとまずトラロープの斜面を戻る。なんと戻ったすぐの斜面に黄色のような黄緑色のような、草の色と完全に同化したテープが2本見えた。ナイスやで!!
で、高巻いてるショット。
ふぇ〜この先どうなることやら。
ちなみに、この先エスケープルートは今回の行程(全くエスケープ感はなかったが)かと思われるため、辞めるならここでやめた方がいい。こーじくんがあれこれ考えていたが、結局、途中の信濃俣方面に延びる尾根の入り口もよくわからなかった。そもそもそこから大根沢大無間経由で寸又峡に戻るのは、なかなか距離がある。2人が希望を抱いていたようで、何度か私を説得しに来ていた気がしたけど、頷くのを渋り続けていたのは、全然距離短くないし、左岸林道から点線が伸びているわけではないのが、なんとも怪しいし、そもそもこの林道から上がる人いる!?ってところ。難しいよなぁ。
昭和46年の地図を見る限り、当時は大無間の方へも道があった?ヤブひどしって書いてあるけど...
「路肩注意」って書いてあった
いまや路肩すらよくわからない。こうなるなんて想像もつかなかったろうけど、この山に車道を作った先人のパワーは計り知れないと思うんだ。
平凡な林道だったり
まさかの青空で
特に問題もなく
綺麗な橋も渡ったり
所々にかつての人の手を垣間見たり
斜面が出てくれば駆け抜けたり
林道だったんだって思うようなカーブとミラーもあって
これ橋!?っていう橋を渡り
というか増水していたら渡れない箇所もあるのかな。その場合は、また面白ろい探検になる。
建物がある場所は平和。崩落するってわかっていても、ここに道を通したかったっていうことでいいのかな。だとしたら、この林道は本当にすごい。日本にこのような林道は他にあるんだろうか?行ってみたいなあ。
きっとここも車道があったんであり、徐々に、渡り方もタクちゃんから盗み覚えてきて、私も先頭を歩けるようになってきた。リーダーありがとう。
山以外に景色はない。そして、初めてこんな新南部の真ん中にいることがとてつもないことだとも思えた。初めて光岳から見た南の山々。深いなあっていう感想しか、その時は思わなかった。行くのは難しいんだろうなあと。その時に見た、あの深い緑の中に、今こうして仲間といるんだ。そんな風に思えて、ひとりでニヤニヤしながら歩いていた。2人も物好きだなぁ〜
そうこうしているうちに何も思わなくなるほど崩壊地が続き
崩落的に深南部の本気を見て、
崩落した(いやほとんどしてるけど)斜面のリードをさせてもらい、普段なら怖くてできなくて半泣きだから全然経験のないことだった。枝にスリングかけながら平地の先の木にフィックスを張ってこーじくんが渡ってくる。最後にたくちゃんが回収。いやもう、経験値なさ過ぎてその場で指示してもらってその通り頑張った。教科書通りじゃなくて、もっともっと、素早く確実に出来ないとダメだなって思えた。やらせてくれて、時間かかったかもしれないけど、それに関して怒りも機嫌悪くもしてこなかった2人にもうほんとに感謝。
夕方、雨がぱらつくも本降りにはならず、
そしてついに日が落ち始める。
暗くなって急に同時登攀が始まる。
タクちゃん先頭、コージくんが次、私が最後。ロープピンピンにしながらガレのカーブとか曲がって止まってダッシュして、とても楽しかったです。ありがとう。でも初め、何やってるのかわからなかった。わからないことは正直に白状した方がいいと思って、聞いた。「同時登攀してるー!」ってたくちゃんが叫ぶ。同時登攀とは。ごめん、予習不足だった。やっと理解して先行の2人に張られるがまま猛ダッシュした。リーダーたくちゃんの指示の通りに猛ダッシュで駆け抜けて行動するのがやっとだった。沢の人と沢に行った時くらい頭フル回転していた。だからここでの同時登攀はかなり省エネになった。
でもだ、着かない!釜ノ島小屋全然着かない!笑
本気で着かない!笑
思いっきり崩れたゴロゴロの崩壊地を越えると、小屋があった。即時全員一致で初日の行動終了とした。
流石にこーじくんは疲れ果ててるし、私もロープを束ねる気が回らなくなっていてぐしゃぐしゃのままにしてたし、たくちゃんはナマクビを見たとか意味のわからないことを言ってたし、この平地が本当にありがたかった。幸いにも2つ軽い崩壊斜面を横切った先に、細い沢筋があって水をゲットできた。生き返った。
入口も閉まらないし窓は外れてるしでボロボロだが一応小屋の形はとどめており、中にテントがピッタリ張れたのはラッキーだった。
予想通り3人でぎゅうぎゅうのテントでこの日は朝までゆっくり寝た。
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2日目
初日の経過からして当初の予定はとっくに破棄していた。そりゃ吊り橋も見たかったし千頭山から池口までも上がりたかった。だけど、今回は無理だったんだ。では次来た時は?そもそも次またここに来る物好きが集まるかも不明である。今よりも左岸林道の状態が悪いかもしれない。それはその時にならないとわからない。それがこの山の面白みの一辺であることは間違いない。
少なくとも、私にとっては。
予定通り6時半頃こーじくん起床して朝食をとっていた。他の2人は起きられないでいる。腰痛かったり、喉痛かったり、体が重くて起きられない。この小屋に停滞しない?なんて寝言を言いながら、起きられない人がいる。なんか、こーじくんは計画完全遂行しそうな勢いで元気そうだった。なんでなの?でもごめん、まだ眠いし起きられない。
そんなこんなでもぞもぞしてたら出発時間が決まったので、起きた。代わりにこーじくんが二度寝。たくちゃんは起きない。私は無理矢理アルファ米を胃に押し込めた。
カフェインレスコーヒーを試してみたんだけど、味覚が狂っているのか凄い酸っぱくて飲めなかった。これは不採用で!
お口直しにココアタイム。あっまっ!!
2人とも起きない。
歯磨きトイレパッキングしても、起きない。
外は雨が上がって青空さえも見えた。
暇なので燃され損ねたゴミを集めた。
蚊取り線香に火を付け直した。
やっとこーじくんが起きてきた。
たくちゃんを起こすと夢を見ていたらしい。寸又峡でダイビングして私がラッコちゃん泳ぎをするシーン。どんな楽しそうな夢見てたんや。いやどんな場面だよ。
まだ夢の中の人を交えてこの日の予定を再確認。雨あがってるでぇ〜!!
時刻は9時ちょい。
いずれにせよ釜ノ島小屋まで行かないことには、どうにも帰れない。
小屋にあった電話。かつてはここまで電話がつながっていたし、車も入れた。令和のいまや、電柱や電線はずーっと林道沿いにあるものの、過去の人工物と化し、自然に還ることもなく、ただその痕跡だけを残している。
左岸林道こんなって感じを超えている
電信柱。
全く住宅も人の気も見えない現在の新南部には不思議な光景。南アルプスの中でも、ここまで町の明かりが届かない場所はこの山域あたりくらいなのでは?であるとともに、過去が残っている左岸林道では、こうあるのが当たり前のような風景にも感じられた。
意外に登れそう?な滝。大きかった。左岸林道で見た中では唯一の大滝だ。
新南部の遊び方無限大の可能性。
今回の私。2週前に歩荷トレしておいてよかったとつくづく思った。新品のザックも穴空いて泥だらけで、しまいにはヒルにやられて腰パッドが血まみれになった。やっぱりザックは洗濯機に入るのがいいな。ザックも消耗品やな。
こんな斜面も見慣れてきて、私楽しすぎておおはしゃぎ。
たくちゃんもう飽きた!と笑い、
こーじくん地味に斜面からずり落ちてきて
みんなそれぞれの想いで崩壊した斜面を存分に全身で感じ取った。素晴らしい、素晴らしいよ新南部!!!
雲ゆき怪しいが降られず。全く電波が入らないので天気予報もみんな知らず、なぜ雨が降らないのかもわからない。
やっとの思いで釜ノ島小屋に到着。
ひとまず、たくちゃんが赤沢の渡渉点までのルートを確認しに行く。
その間にこーじくんとひと休憩させてもらい、小屋を偵察しに行った。
小屋内部。2階建ての1階。なお、床が抜け落ちてて2階どころか小屋に入れない。
外観。
小屋にあったもの。上に何リットルってメモリがあって、下のドラムに何かが入りそうで、よくわからないハンドルが付いている。ガソリン入れて使う灯りじゃない!?ってみんなで話してたけど、帰宅後調べたら、全然違った。
「ガソリン計量機」というものらしい。ガソリンスタンドにあるガソリン入れるあれだよね。そんな時代だったんだなと、かつての左岸林道につくづく感動。
小屋の少し先に、林道が切れ落ちた箇所があった。これまで寸又峡温泉を出てから、崩落はしていてもなんとか林道の跡を追いながらここまで歩いてくることができた。これにて終わりといわんばかりの完全なる崩落。今回はここまでということで、良い納めなのではないだろうか。
赤沢渡渉点の偵察をしてきてくれたたくちゃんの報告を待って、明日諸沢山から下山することと決めた。こーじくんは歩く気満々だったけど、水の荷揚げが厳しいだろうということで、釜ノ島小屋の近くにテントを張ってゆっくり過ごした。
水浴びして、焚火して、飲んで、楽しいひと時を過ごした。特にTシャツ脱いで頭から水ぶっかけてもらったのは最高に気持ちよかった!!!
夜ご飯を食べ終わる頃に雨が降り出し、この雨は翌日の午前まで続いたのだった。雨は舐めたらあかんでぇ。
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3日目
夜中、少し小降りになりアルファ米を胃に押し込む。もはや作業。食事ではない。たぶんこーじくんはちゃんと食事をしている。
小屋から先の林道が完全に切れ落ちているため、裏の山を巻かないと橋まで辿り着かない。
斜面を這い上がりルンゼを下り崩落地点の少し先に出て橋を渡り赤沢方面へ向かい渡渉点へ。ただ、ここの時系列はちょっと曖昧な記憶。
なお、林道から逸れる地点の橋渡ると、寸又川左岸林道は右岸に移る。これを以って、今回の我々の寸又川左岸林道遡行は終了とした。
赤沢で水を汲んで目指すは1782のピーク地点。名も無き1782が、今回の山行の最高高度だ。
降り続く雨の中、夜明け前のガスで視界はない。斜面のルーファイを任されるも、ボロ山みたいな感じになって、岩が剥がれて私びびる。こんなのわたし初体験。自分のルーファイ能力の低さを感じた。荷物的にも険しかったがなんとか歩ける斜面に上がり、日も出てくる。きつかったな、この登り。この山行でかなりの上位で赤沢尾根合流がキツかった。
普通に歩ける幸せ。
雨で寒かったので途中で着替えて登り。服って大事だなぁ〜って思った。
クライミングとかこういう道に慣れてないとなかなか通過するには大変っぽかった箇所がいくつかあったみたい。(私は慣れてるので他人ごと語りになっている)
登りでバテたクライマーが2人。足弱い!いや、こーじくんが強いんじゃないか?って帰宅してから思った。
この山行で唯一の山頂!
長かったぁ〜
山に馴染んだジミーな集合写真は思い出に残しておきます。3人ともなんかすごい汚かったと思う。笑
ちなみにもう1枚の集合写真は、鼻にチータラ刺してる人がいた。言ってよ!刺したのに!
右岸林道経由で諸沢山へは入っている人がまぁまぁ?いるらしく、所々にテープが張ってあり、普通の道だったので、一気にペースが上がった。1箇所木掴んでクライムダウン気味に下りた箇所があったけど、たぶん巻道があったような気もする。そこら辺でもう私は下りの気力がゼロに近づいており、こーじくんたくちゃんにロープダウン組は任せて、1人で落ち着く平地まで先へ行った。この先も、下りでスコンスコン転びながら必死に2人について行った。きっとたくちゃんは気にしーまんだから声かけてくれてたけど、こんなにも2人の下りのペースについていけない自分が情けなさすぎてちょっと半泣きだった。
日向林道は崩落はしているものの、左岸林道を歩いた我らにとってはなんてことなく、どんどん足を進めた。こーじくんも慣れてきた感があった。ちなみに左岸林道は比べ物にならないくらいのレベルではあった。行く人いたら、是非あらゆる全てを万全にして、と言いたい。
光岳大無間の標識。
上がらないけどね。
休憩していた広場が、ダムへの分岐地点だった。ちゃんと看板あったのに誰も気づいてなかった。
普通の道。2人が先へ行った。私は追いつけないから、後から行くも、鈴の音が聞こえなくなったので置いていかれすぎ!と思って、ダッシュで分岐を2つ確認して下る。
走りやすい道が続く。
ダム到着!
おおーダムの迫力にしばし見惚れる。動画を撮ったりしながら2人のところへ向かう。
あれ?2人がいない!!
渡っても、いない!なんで!!右岸林道ってこっちじゃなくて私間違えた!?えっ?先行った?と思って、ダムから少し先を歩いてみる、全くいない。てゆうかこんな広いダムがあるのに先に行っちゃうような2人じゃないことは確かだ。んー右岸林道って話してたからこっちなはずなんだけど...と思って涙目で途方に暮れていたら、ダムの向こうの山の方から、なんとなく人工的な音?が聞こえた。半泣きで耳を澄ます。今度は、名前を呼ばれてる気がした。ダムの下に降りたの?えっダムを渡らずに左に行く林道ってあったっけ?いやー、ないよなぁー...と地図を見て思いながら、ダムを渡り直して真ん中あたりで、また呼ばれてる気がする。笛を鳴らした。もうほんとどこ!?ダムを戻って下山した地点まで行った。笛の音だぁ!呼ばれてるぅ!でも、どこぉ〜!!!
2人が上から下りてきた!!えっなんで!?えっ!?4日間も一緒にいた2人とこんな山奥ではぐれて、再会した時は安心感はんぱねぇ〜
どうやら、2人は途中の分岐を間違えて違う方に下り(この2人に限ってそんなことある!?)途中で気づいて登り返して、後から来る私を待っていてくれたようだ。だが2人が道を間違えている間に、私は2人に追いつくべく走って下山していたので、すれ違えなかった、ということらしい。そして2人は私が滑落したかと思って探しまくってくれていたとのこと。本当にお騒がせしました。3人別行動は良くないね、っていうことになり、ダムから舗装された道を下山した。まあ途中でこーじくんが走って行っちゃったので(どこにそんな元気残ってたの?笑)、最後は走って行った人と、走りたくない2人で分かれたけれども。何はともあれ、仲間とはぐれるって、あんなに怖いんだと、身をもって思い知った。
さてさて右岸林道にはトンネルがいくつかある。初めは怖かったけど、最後のトンネルはヘッテンをつけないで歩いてみた。なかなか良かったな。
寸又峡温泉に下山したのは20時前。とっくに日帰り入浴は終わっている。まさか自分たちが臭いとも思わずに誰もいない真っ暗な路上で着替えや水浴びを始める。そこへ運良く温泉宿の女将さんが下りてきた。なんと、温泉開けてくれるって!遠慮する2人にうちらの臭さを力説し、無事入浴。3人とも足裏が痛すぎてまともに階段を下りられなかった。ここでの温泉は最高に気持ちよかった。求夢荘さん、ありがとうございました。
もちろん家には行き着かなかったので、途中のコンビニで(臭い)ザックを(ちょっと大きいんですけど送れますよね?ってひと回り小さめをジェスチャーしてOK貰えたところで店内に運び込み)自宅に送る。翌朝そのまま出社。スッピンだしメガネだしボロボロのTシャツしかなくて、朝まで飲んできましたみたいな雰囲気で1日働いた。
なんてゆうか、終わってしまえば入山前とは違う胸の鼓動を感じた。それはひと言では言い表せないし、言葉にもできないほど、これまで行ったどんな山よりも感情が溢れ出してくる。
暫くはいいかなって思ったし、ぽかーんとカラの空間が私の頭を占拠した。それでも不思議なもので、こうやって書き連ねてくるとまた行きたいんだなぁー深南部の奥の奥の山に。何がそんなに私の心を掴んだんだろうか。果たしてそれは、当初の計画左岸林道を更に先へ行って池口まで上がりたいのか、それとも違う地点なのか。それを明確にさせるにはもう少しだけ時間が必要そうだ。
もう少しだけ、あと少しだけこのなんとも言えない充実感に浸っていても、いいですかね。
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